私の処女出版は平成2年に刊行された
『天皇と民(たみ)の大嘗祭(だいじょうさい)』(展転社)。大学院を出て間もない無名一介の若造の著書ながら、幸い好評を得て、たちまち3刷りまで版を重ねた。各地に招かれて講演に飛び歩くなど、生活も一変した。当時は過激派が「大嘗祭粉砕!」などと叫んでいたので、私が講演で地方のホテルに泊まる時には、隣の部屋に警備担当の警官が泊まった。おちおち女の子も連れ込めない有り様(その頃、既に妻子あり)。テレビに初めて出演したのも、この頃だったはず。この本の反響で特に記憶に残っているのは、法制史家で東京都立大学や一橋大学などの教授を歴任された水林彪(たけし)氏が、その著書(『記紀神話と王権の祭り』岩波書店)で10ページ位を割いて、(批判的な観点から)大きく取り上げて下さったこと。「特に高森氏の著作が注目される」「高森氏の大嘗祭論は、管見の限りでは、この問題を論じたおびただしい数にのぼる著作・論文のなかで、群を抜いて優れたものである」
「大嘗宮の秘儀を空想たくましく論ずるのを常としてきた通説的手法とはっきりと訣別し、儀式の内容を確実な文書史料によって比較的よく知ることのできる大嘗宮儀式以外の祭式に着目されて、この祭式をば、古代社会全体の構造史的展開の中に位置づけることによって、大嘗祭の本質に迫ろうとした氏の方法は、まことに読みごたえのある大嘗祭論へと結実することができた」「(大嘗祭と新嘗祭〔にいなめさい〕の違いは)規模の大小という単なる量的差異に還元できない質的相違を含んでいるという(高森)氏の主張は、まさにその通りであるように思われる」「(これまでの)研究史を想起するならば、高森説は画期的な学説と評することができよう」等。翌年には、若手の研究者を対象とした神道宗教学会奨励賞を受けることにもなった。更に、別に光栄至極な一件もあったが、これは軽々しく公表すべき事柄ではあるまい。あれから早くも30年近くの歳月が流れた。今年11月には、わが人生で2度目の大嘗祭を迎える。感慨深い。しかし、近頃の大嘗祭をテーマとした学術シンポジウムなどに参加しても、研究が目覚ましく深められたようにも見えないのは些(いささ)か残念だ。こうした状況なら、手放しでは喜べないが、私の旧著も全く価値が失われてしまった訳でもなさそうだ。そんな手前味噌なことを考えていたら、タイミングよく版元から、少し手を加えて新しい本として出さないか、との提案があった。これは有難い。早速、専門的な論述は思い切って削除したり、引用史料を現代語訳したり、新しい記述も加えたりして、手を入れた。結果、ずいぶんコンパクトで分かりやすいものになった(気がする)。書名は未定。5月中旬に刊行予定だ。
乞うご期待!